金 曜 日 の 食 卓

予 感発 熱新入社員涙の味ストロベリー・レシピ会 議



発 熱
 いざとなるといつもこうだ。

 遠足、運動会、家族旅行……。楽しみにしているとその日に限って風邪をひいて涙を飲む。
 普段はサボりたくても休めないほど頑丈なのに、どうしたことか大事な日に突然体調を崩すんだから。
 今夜は特別だったのに。

 部屋の隅にそっと目を向けると、ボルドーのロングワンピースが吊るされている。
 体のラインがまともに出るこの服のために、私は太りやすいこの時期に必死で体型維持に努めた。
 夜、眠る前にこれを眺め夜食をとることを戒め、彼にエスコートされて幸せな一夜を過ごす夢を何度見ただろう。

 今、ドレスは無言で恨みがましく私に訴える。
 ――このまま一度も手を通すことなくタンスの奥に片付けてしまうつもり?
 私だって着たい。これを着て、メイクもばっちりして、彼と出かけたい。
 なのに、どうしてこうなるの!?

 鼻水は垂れるし、頭はがんがんするし、立てば眩暈がする。
 私はどこまでも不運なこの体を恨んだ。

 今夜、カウントダウン・パーティに誘われていた。
 まだ泊まることはもちろん足を踏み入れたことすらない有名一流ホテルで開かれるミレニアム・カウントダウン・パーティだ。
 彼が仕事で出入りしている会社がたまたまこのパーティのスポンサーで運よく手に入った招待券だった。
 そんなに華やかなところに行けるなんてそうそうない。
 今夜のために服も、ピアスも靴も、ボーナスで買ったのに。
 3年ぶりの高熱が、なんでわざわざ今日なんだろう。

 テレビから今年流行った歌が聞こえてくる。
 なんで紅白なんか見てるんだろう。

「気分悪いの?」
 彼が私の顔を心配そうに覗きこむ。
「ううん、何でもない」
 私はあわてて首を振った。

 目の前に彼が作ってくれたできたてのおかゆが、お米のいい匂いのする白い湯気を上げていた。
 農家に嫁いだ叔母が送ってくれたお米は、それだけで本当においしい。
 こんな体でもそのにおいだけで急に空腹を感じた。

「いただきます」
 私は心から彼に両手を合わせて、レンゲを手にした。
 とろとろの白い汁の中からやわらかく崩れた米粒をすくいだし、息を吹きかける。

「……おいしい」
 一口目を食べて、私は彼を見た。
 彼は誇らしげに、アタリマエだろ、と胸をはる。

 黙って食べていると紅白歌合戦のお祭り騒ぎだけが聞こえて、私たちだけが蚊帳の外みたいに思えて淋しかった。
 今頃パーティの方は盛り上がってるんだろうな……。

 私はキッチンの前の椅子にかかった彼のタキシードのジャケットとネクタイを見た。
 彼は一度会場へ行き、チケットをくれたお得意さんに挨拶だけをして私の所に来てくれた。
 一人じゃつまらなかったと言ったけど、会場を出る時、後ろ髪を引かれる思いをしなかったんだろうか。
 逆の立場なら私は彼を恨むかもしれないのに。

「ごめんね」
「何が?」
「私のせいでこんなことになって。ホントは帰りたくなかったでしょ?」
「そりゃそうだよ。何もかもお陰で台無しだね」
 彼は下を向いたままレンゲを口に運びながら、冷たく言い放った。
 自分が言い出したことなのに、そんな風に言われるなんてショックで、胸にずくんと鈍い痛みが走る。

「――って言って欲しい訳?」
 彼は手を止めて顔を上げた。
 怒ったような、呆れたような目で彼は私をまっすぐに見た。
 悪戯が見つかってしかられた子どもみたいに、私は落ち着かない気分でおどおどして首を振った。
「だったら言うな。一人じゃつまらなかったって言っただろ?」
「うん」
 もうこのことは口にしない、と私は心に誓った。
 たぶんこれ以上謝ったり気にするような素振りを見せたら、彼は本気で怒る。

 彼が再び口を動かしはじめたので、私もドキドキしながら野沢菜に手を伸ばした。
 鮮やかな緑色は着色したものではなく、自然に出たツヤなのだと八百屋のおばさんが自慢する手作りの野沢菜だ。
 鼻をすすりながら野沢菜を噛んでいて、ふとおかしくなって笑い出してしまった。

「なんか私、すっごくみっともないね。汗くさいし、髪ぼさぼさだし、すっぴんだし、女として幻滅しない?」
「病人なんだからしょうがないよ」
 彼は肩をすくめる。
「こういうことも、あるよ。ずっと一緒にいれば、いいとこばかりも見せてられないだろ」
「うん……」
「おれだってカッコ悪いとこ見せるだろうし」
「うん」
 おかゆを口に運びながら、私はぼんやりと頭にひっかるものを感じた。
 なんだろう。

 熱いものを食べたからか、それとも熱が上がったからか、原因はわからないけど、体の中から熱くて、頭の中も熱くて、朦朧(もうろう)としてくる。
 テレビが演歌ばかり歌い続けている。もうすぐ11時だ。

 彼がぼそっと言った。
「一月一日は毎年一緒に過ごしたいよな」

 私は咀嚼しながら、彼の言葉の意味をぼんやり考えた。
 一月一日は毎年一緒に……。
 毎年。
 毎年……?

「何か言えよ」
 私が黙ったままなので焦れた彼が私をにらむ。
「え、ちょっ、ちょっと待って、何?」

 頭が、ショートしそう。
 それってやっぱり、そういうこと?
 混乱して一気にまた熱が上がったような気がする。

(2000.11.4)





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