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2002年02月24日

男性に好まれる女のタイプ(2)

女が理想とする女のタイプと、男が好きな女のタイプというのが違うということに気付いたのは、中学の時。
その頃同級生の男の子たちに人気があったのは、浅香唯(3代目「スケバン刑事」ね。)だった。(うーん。恥ずかしいくらい古い話だ)
浅香唯の下敷きを持っている男の子はクラスに必ず5人はいたし、隠れファンも含めれば男子の過半数は支持派だったのではないかと思う。
でも女の子で彼女が好きだという人はいなかった。
どっちかというとブーイングもので、なぜ彼らが浅香唯が好きなのかわからない、と女の子たちは思っていた。

最近ならフェロモン系の女優さんなんかがそれにあたる。
同性である女性が彼女たちを気に入らない理由は、媚びを売りにしているのが姑息だと感じるからかもしれない。
そこにあるのは軽い嫉妬の気持ち。
逆に同性に人気の女優さん、たとえば最近では米倉涼子とか江角マキコは、男性には良さがわからないようだ。
彼女たちの売りは女らしさよりも知性とかカッコよさだから、男性のココロに訴えるものが欠けるのだと思う。
でも、多くの女性が憧れ、目指すのは、どっちかというとこっちのタイプ。
とすると、ほとんどの女の人は男性の好きなタイプとどんどんかけ離れていってしまうということか。
フェロモン系とかかわいい系って、実は特権階級なのかもしれない。

2002年02月23日

男性に好まれる女のタイプ(1)

男の好みってよくわからないなあと思う。

イトコのAくんの話。
Aくんは1つ下で私にとっては弟のような存在だが、最近付き合っていた彼女と結婚した。
彼の話から察するに、彼女は相当嫉妬深く、気が強い人のようだった。
Aくんは優しい男の子なので、よほど彼女にべたボレで、何でも彼女の好きなようにしてあげているのだろう。
海外挙式のことも、引越しのことも、何もかもAくんが一人で手配したようだった。
別に彼がワンマンなわけではなく、彼女がまかせっきりだからである。
仕事もめちゃめちゃ忙しいのに一人でばたばたして大変そうなので、「彼女がやればいいじゃん?」と私が言うと「そうなんだよねー」と彼は苦笑するが、だからって彼女にやらせようとはしていないようだった。

最近久しぶりに会って話をしたら、なんと彼女が実家に帰ってしまっているという。実に入籍後1ヵ月の間に。
1時間の通勤時間と慣れない生活でダウンした彼女を見かねた彼女の母親が「しばらく返してくれ」と言ったそうである。
叔母の話によると、両家で会食をした時にその母親は「Aくんは思いやりがなさすぎる」と発言したらしい。
姑である叔母もびっくりの母親である。
30分の通勤が1時間に変わったからって、1ヵ月で音を上げるとはスタミナが足りないのではないかと思ってしまうのだけど、それはAくんに肩入れしているせい?
その仕事も3月いっぱいで辞めて専業主婦になるのだという。
Aくんは社会に出て3年目。
そこまでの経済力があるとはとても思えないんだけど。
それに、嫉妬深い奥さんが待ち構えてるところに帰るのって夫としても息詰まらないかな?
まあ、若者よ。ガンバレ。

逆に私みたいに何でも自分でやろうとしてしまう女というのは男性にとってつまらないのかなあ。
でもだからって今更「えー、わかんなーい。やってー」ってキャラはできないし。

2002年02月21日

そういう運命

「婚外恋愛」というドラマをついつい見てしまっている。
“見てしまっている”というのは変な言い方だが、展開がまずい方にまずい方に進んでいくので食事時に見ると胸がつまる思いで本当はイヤなのだけど、どうしても気になってチャンネルを合わせてしまうのだ。

主人公(永作博美)が自分の本当の気持ちを伝えられないうちに、誰にでもやさしい夫は自分に思いを寄せる女性(釈由美子)の方へ向いていってしまう。
余裕を見せてやせ我慢する女より、堂々と全身で思いをぶつけられる女の方が強い。
どっちかというと私は主人公と同じやせ我慢型なので、イライラしながらもわかりすぎるほど彼女の気持ちが理解できてつらい。
今伝えなきゃ、いつ伝えるんだろう。
そう思う。

釈由美子が嫌いになりそうなくらい、彼女の演じる役は私が苦手なタイプの女だ。
いるんだよね、こういう悪気無く人を傷つける人。
本人は遠慮しているつもりで、実はかなりずうずうしい。
もちろん彼女の事情も気持ちもわかるんだけどあの手のタイプは同性を敵に回す。
欲しいものを手に入れるのはこういう人。
私がそんな彼女のような人をイヤだなあと思う気持ちは、実は嫉妬なのだ。
あんなふうになれなければ幸せにはなれないのかもしれない。

主人公と夫のすれ違いをみていて、一度狂った歯車が再び噛み合うことの難しさと、巡り合せの悪さを思う。
思わぬところでばったり好きな人と逢うことを運命と感じることがある。
それと逆に、どうやっても悪い方悪い方へ向かってすれ違うばかりなのもまた運命なのかもしれない。

2002年02月20日

命に関わる失恋

山本文緒さんの「かなえられない恋のために」(幻冬舎文庫)の中に“やばい失恋”という項があった。
『ただ「やぱい失恋」というのが世の中にはあると思う。それがきっかけで、命のバイオリズムみたいなものが、ぐーっと下がってしまうケースだ。大袈裟だとお思いになる方もいるだろうけど、失恋をなめてはいけない。風邪を軽くみてはいけないのと同じで、失恋はこじらすと致命的なものになる』
どきっとした。
ああ、やっぱりあの時死にかけたんだなと思う。
そして、ああいう状態にはまるのは自分だけではないのだと思うと、ちょっとほっとした。
ここ何年かそういうこととは無縁だし、ある程度私も慎重になったし、そこまでまともにはまるようなことはない気がする。
もし今度そういう失恋をしたら、ここまで這いあがってこれる自信(体力?)がない。
だからって消極的になっちゃうのはつまらないし、結局同じコトを繰り返すしかないんだろう。
もうすぐ復活祭だし、私も何度も死んで蘇るとするか。

2002年02月19日

傷跡

テレビで失恋の傷を催眠療法で治すというのをやっていた。
ココロに残した思いを表に出せない。
思いきり泣けない。
泣けないからいつまでも思いがしこりになってココロに居座り続ける。
そういうのを催眠術の手を借りて解消する。
逆の言い方をすれば、催眠術という手段がなければ傷を抱えたままだったということだ。

私は幸い自分の力で泣いて再生することができたけれど、もしかしたらあの治療法を受けたら、土をかけて埋めたつもりの涙の泉を掘り当てることがあるかもしれない。
見ないフリをしてることがいっぱいあるからある意味こわいけど、実際に治療を受けてスッキリしたという女性の顔を見たら、やってみたい気がした。