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 プロローグ

 本番直前のステージ裏の空気が好きだ。
 そんなふうに言うと緊張を知らない人間みたいだけど、そんなことはない。私だってものすごく緊張する。
 むしろ人の百倍くらい緊張している。
 口から心臓を吐き出しそうなくらいに。
 体は小刻みに震える。
 寒くも無いのに鳥肌が立つことすらある。
 掌に染み出す汗を止めようと必死でハンカチを握りしめる。
 頭の中では落ち着くように言い聞かせても、効果なんか見込めない。
 それは私だけでなく周りのみんなも同じで、口ではどうでもいいバカ話をして冗談に笑ったりしていても、そこら中の空気がぴーんと張り詰めていて、まるで零下50度の世界に放り込まれたみたいに全身の皮膚がぴりぴりと痛む感じ。

 いつも私は天井を見上げて、深呼吸をする。
 高い、黒い骨組みしか見えない暗い天井を見上げて、棘のような空気をたっぷり飲み込む。
 下を向いて静かに床に吹きかける。
 数回それを繰り返すと、少しは緊張が緩和される気がする。
 気休めでしかなくても、毎回決まって行う儀式。
 こうして2回目のベルが鳴ってライトの下に足を踏み出す前に覚悟を決めるのだ。
 じたばたしてもしょうがない。
 負けるな、自分。自分を信じていこう。

* * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * *

 オーケストラで過ごした時間を思い出す時、真っ先に頭に浮かぶのはなぜかステージの上での記憶じゃない。
 ステージの上では緊張でほとんど頭が真っ白になっていたから、ということもあるけれど、考えてみればステージに乗っていた時間は一瞬でしかなく、ステージに至るまでの時間、ステージを降りてからの時間の方が圧倒的に長いのだから、当然といえば当然かもしれない。
 暗い舞台裏で出番を待ったこと。練習中の出来事。合宿のこと。数々の音楽以外のイベント。楽団で出会った個性的な人たち。
 なんでもないと思ってたことほど過ぎてみればとてもいとおしい。





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