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 指揮者の歌

 故・朝比奈隆氏の指揮による演奏の映像を見た時、「あ、この人も歌ってる!」と思わずニヤニヤしてしまった。
 初めての定期演奏会の時、出番がアンコールだけだった私は、楽屋で他の1年生部員とおしゃべりしたり、モニターを眺めて聞こえてくる演奏に耳を傾けたりして時間を過ごし、それにも飽きた頃、こっそりと舞台裏に様子を身に出かけた。
 メインの交響曲がはじまっていた。
 曲の盛り上がりと共に、何かが聞こえてくる。
 明らかに楽器の音ではない。
 耳を澄ませてもわからないので、反響板の隙間からステージを覗き見ると、指揮者の先生が好調に指揮棒を振り回しながら時折口を動かすのが見えた。
 あわてて私は楽屋に戻って、同じく降り番のトロンボーンの先輩にそっと聞いてみた。
「先生、歌ってますよ。舞台裏まで聞こえたんですけど、あれっていつもなんですか?」
「そうだよ。いつも」
 先輩は別段驚くこともなく、事もなげに答えた。
「今日の演奏、録音してるんですよね?」
「いつもテープに先生の声が入ってるんだよ。今度聞いてごらん」
 後日確認したら、先輩の言葉どおりしっかりとテープに先生の歌(というよりうなり声)が入っていた。
 私が卒業するまでに参加した全ての演奏会のテープのどこかしらに先生の歌がちりばめられている。
 はじめの頃はテープに残るほど大声を出すなんて客席にも相当聴こえてるに違いない、と奇異なことのように思っていたけれど、今ではそれもこの楽団の演奏の一部だと思っている。
 歌が飛び出すということはそれだけ深くその曲の世界に入り込んでいるということだし、曲に対する想いがあふれてのことだと思うから。





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