1年の頃は結構空き時間が多かった。 空き時間、と言っても、他の曲の合奏や分奏をやっている時は自分の曲の練習や基礎練習をする時間なのだけど、毎回毎回そればかりが続くとさすがに練習に飽きる時間帯もある。 メトロノームをにらんで基礎打ちをする手もおざなりになりはじめた頃、トランペットの大野先輩が突然練習曲を吹くのをやめてつかつかとやって来て、私の前に仁王立ちになった。 大野先輩は私が生まれて初めて接した広島の人だ。 少し目つきが鋭く、気が短くて機嫌が良い時と悪い時の差が激しいところがあったので、ちょっと近寄りがたい怖さをいつも感じていた。 初対面の時には「お前名前なんちゅうんじゃ!」と訊かれ、初めての広島弁に戸惑い三度も「え?」と聞き返してしまい、すっかりびびってしまった。(先輩はまったく怒らないで何度も言ってくれたけれど) 練習前に全員集合して出欠を確認する時には、一番後ろの席にどっかり座り、腕組みをして名前を呼ぶ委員長や副委員長をきっと睨みつけ、「おる!」と凄む。ちっとも怒っていないのにやっぱり怖い。 テレビなんかで見るヤクザの印象や(テレビのヤクザは広島弁と思われる言葉を使ってる気がする)、それとも先輩のもつ雰囲気に加え、言葉の語尾の発音がきついので、いつも怒っているように感じてしまうらしい。 でも実際のところ、のんびり屋ばかりのこの楽団の中では唯一、本当に怒った時には無言で椅子を激しく蹴飛ばしたり、声を荒げて怒鳴りつけたりして(主な対象は同じパートの下級生である)、周囲の緊張感を極限まで高められる人でもあった。 女の子には結構優しいと知っていたものの、それでも面と向かい合うと渇を入れられるかもという恐怖にかられる。 「な、なんでしょう?」 大野先輩はにこりともせず、いつもの勢いで口を開いた。 「お前んち、何屋じゃ!?」 「え? うちですか?」 ものすごい勢いで言うのでやはり叱られているように感じて軽いパニックに陥るが、なんとか持ち直して答える。 「フツーのサラリーマンですけど」 「ふーん。ほうか。それで、何の会社なんじゃ」 「家電メーカー……。電気屋さんですね」 「電気屋か」 自分から問いかけたくせに、答えは結構どうでもよかったらしい。 私の答えをそのままつぶやくと、大野先輩はくるりと私に背を向けて元いた位置に戻っていく。 何のためにそんな調査が行われたのかはわからなかったが、私も個人的に興味を持ったので、聞いてみた。 「先輩んちは何屋さんなんですか?」 「うちはレストラン屋さんじゃ!」 先輩は私の問いに答えて、再びトランペットのマウスピースを口に押し付けた。 「レストラン屋さんか……」 ○○屋さん、という言い方が大野先輩の口から出てくるとものすごく違和感があっておかしかった。 後からなんとなく察知したのだけど、就職活動をはじめた頃のことだったようだ。 大野先輩は、またある時には、練習の合間に 「布団がふっとんだ!」 と突然独り言を言って再び練習曲に戻り、しばらく私の手を止めさせた。 後で大野先輩がダジャレ好きということを誰かから聞いたのだが、その時は本当に反応に困ってしまった。 怠け者の私だけでなく、他の楽器の先輩でも練習に飽きることはあったのだ。 トランペットパートの個人練習風景には他にも印象深い記憶がある。 練習曲を流暢に吹いていたかと思うと、楽器を口から離すとそのマウスピースの下からチュッパチャップスの棒が姿を現して、飴を口に入れたまま吹いていたことがわかったこともあれば、飴でなくくわえ煙草で楽器を吹いて、ラッパの先から煙が出るのを見たこともある。(きっと楽器の中はヤニで黒くなっているのだろう) 見る人が見たら怒るんだろうけど、それを別に誰かに見ろと言うでもなく、つれづれに任せて試しにやっているような感じで、私のような目撃者がいるとはきっと彼らも思っていなかっただろう。 あのなんとなく気だるい時間も、後になってみれば贅沢な時間の使い方だったと思う。 |