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** オーケストラの日々 ** |
クラシックなんかやる人間は特別な人間だと思われてる気がする。 黒い服着てかしこまってステージに立つだけで、どえらい人間に見えてしまうらしい。 だけど、楽器やってる人だって、生身の人間。たまたま楽器をやっているだけの、どこにでもいる人たちだ。 笑ったり、怒ったり、泣いたり、人生いろいろ、男も女もいろいろ。 かつて所属した学生オーケストラには、本当にいろんな人たちがいた。 食べるのに困るほどお金が無かったり、恋に悩んだり、突然思い立って遠くに出かけたり、パチンコとマージャンに明け暮れたり、酔っ払って警察のお世話になったり。 100人近い人たちが一緒にいたら、それだけで一つのコミュニティ。 生まれも育ちも住んでいる環境も好みも違う。 私にとっては、もしかしたら楽器よりもそのことの方が興味深く、魅力的だったのかもしれない。 世の中はこんな風にたくさんの人が寄り集まって成り立っているってことに初めて気付いたその場所のことを書いてみようと思う。
る。 2004年6月20日、記
※この物語はフィクションであり、事実とは多少(?)異なります。 語り手も出てくる人たちも、モデルはいても名前も含めて実在の人物ではありません。
東京都交響楽団の活動を応援します。 →都響ジャーナル 都響 都響の「小中学生のための音楽教室」で楽器の魅力に気付いてしまったかつての子供の一人として、自分にできることがあれば少しでも何かしたいと思う。 両手の中にある大切なものを一つでも多く残すことを考えないと、このまま何もかも失ってしまう。そんな気がする。 |
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プロローグ |
本番直前のステージ裏の空気が好きだ。 そんなふうに言うと緊張を知らない人間みたいだけど、そんなことはない。私だってものすごく緊張する。 むしろ人の百倍くらい緊張している。 口から心臓を吐き出しそうなくらいに。 体は小刻みに震える。 寒くも無いのに鳥肌が立つことすらある。 掌に染み出す汗を止めようと必死でハンカチを握りしめる。 頭の中では落ち着くように言い聞かせても、効果なんか見込めない。 それは私だけでなく周りのみんなも同じで、口ではどうでもいいバカ話をして冗談に笑ったりしていても、そこら中の空気がぴーんと張り詰めていて、まるで零下50度の世界に放り込まれたみたいに全身の皮膚がぴりぴりと痛む感じ。
いつも私は天井を見上げて、深呼吸をする。 高い、黒い骨組みしか見えない暗い天井を見上げて、棘のような空気をたっぷり飲み込む。 下を向いて静かに床に吹きかける。 数回それを繰り返すと、少しは緊張が緩和される気がする。 気休めでしかなくても、毎回決まって行う儀式。 こうして2回目のベルが鳴ってライトの下に足を踏み出す前に覚悟を決めるのだ。 じたばたしてもしょうがない。 負けるな、自分。自分を信じていこう。
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オーケストラで過ごした時間を思い出す時、真っ先に頭に浮かぶのはなぜかステージの上での記憶じゃない。 ステージの上では緊張でほとんど頭が真っ白になっていたから、ということもあるけれど、考えてみればステージに乗っていた時間は一瞬でしかなく、ステージに至るまでの時間、ステージを降りてからの時間の方が圧倒的に長いのだから、当然といえば当然かもしれない。 暗い舞台裏で出番を待ったこと。練習中の出来事。合宿のこと。数々の音楽以外のイベント。楽団で出会った個性的な人たち。 なんでもないと思ってたことほど過ぎてみればとてもいとおしい。 |
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謎用語辞典 |
どこの世界でもそうだけど、初めて入る世界にはそこにしかない言葉、というものがあって、遭遇すると少なからず戸惑う。 オーケストラにもそんな謎の言葉がたくさんあり、しかも誰も何の疑問も持たずに使う。 私が首を傾げたり、おもしろいと思った言葉を挙げてみる。
「チャイゴ」 チャイコフスキーの交響曲第5番の略称。チャイ5。 学生の場合、「今日はチャイゴをやる」というと、中国語(チャイ語)と混同し、混乱が生じる。 ちなみにチャイコフスキー自体の略称は、「チャイコ」。紛らわしい。 こういった略語はかなりおもしろい。(これらの言葉はこの楽団固有の言葉かもしれない。他の楽団では別な言葉を使っている?) ベートーベンだと、「べト1」(交響曲第1番)とか。(音の感じが汚い) ドヴォルザークだと、「ドヴォ7」(交響曲第7番)とか。(田舎っぽい) ブラームスだと、「ブラ1」(交響曲第1番)。(一般の人は、ブラッド・ピットか下着を想像しそう) 「第9」とか「運命」とか「未完成」とか、一般的に有名な名称がある場合にはあまり使わないようだ。 バッハやモーツァルトのように略しにくい作曲家には使わないかもしれない。
「ゲーセン」 G線。弦楽器の弦の一つ。弦楽器の人はよく使うだろうけど、私には初耳だった言葉。 弦楽器の男の子が「ゲーセンを買いに行く」と言った時、「ゲームセンターで何を?」と聞き返して冷ややかな視線を向けられた。 ちなみに、ヴァイオリンにはE線(エーセン)、A線(アーセン)、D線(デーセン)、G線(ゲーセン)と4本の弦がある。 バッハの「G線上のアリア」は、「ゲーセンジョウノアリア」なのだそうだ。 曲名だけだとあんまりきれいに聞こえない。
「パーカス」 パーカッション(打楽器)の略称。 これは他の楽団でも使っていると思うし、自分たちでも名乗っている。 それにしても、もっと頭のよさそうな名前はないもんだろうか。
「ゲネプロ」 本番前の通しリハーサルのこと。ドイツ語の「Generalprobe(ゲネラルプローベ)」の略称。 たぶん私がものを知らなすぎただけ。 「11時からゲネプロです」といきなり言われても、「ゲネプロってなんですか?」とはさすがに聞けず、なすがままやってみて理解した言葉。 当たり前だけど、プロゴルファーがあらわれるわけじゃなかった。 |
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ヘアスタイル |
演奏会に出演する際の指定のヘアスタイルはない。 中学校の校則のように、肩に触れる長さの場合は二つに分けて三つ編みにする、とか、黒いリボンを使用する、とかそんなきまりごとは一切ない。(他の楽団にはあるかもしれないが) ただし、男性は黒い式服、女性は黒と白で統一、という服装のきまりがある以上、世間一般の常識として、それに合わないことは通常しないものである。 そもそもクラシック音楽は紳士淑女の音楽なのだ。 私の知る限りでは、演奏会当日に明らかに違和感のある髪型をしていた団員はおらず、皆至って常識的だったが、2度ほど髪型のことで驚いたことがある。 1度目は、ある男の子が自ら髪を切りあまりにも刈上げ過ぎていた時。 ステージに立つ前日にわざわざ自分で髪を切って失敗する、ということのできる勇者はなかなかいないものである。 2度目は、まさに本番中。 ある曲でティンパニを叩いていた私はオーケストラの一番後ろの一番高い位置に陣取っていた。 長い休みの合間に指揮者の方に目を向けた瞬間、その対角線上にいたバイオリンのある先輩の後姿に釘付けになった。 髪を長めに伸ばしていた男の先輩だったが、この日の髪型は編込みだった。 そういえば、本番前にバイオリンの女の先輩たちがその先輩を囲んでなにやら楽しそうに騒いでた気がする。 思わずニヤリと笑ってしまいそうになり、あわてて口元を引き締めた。 危ないところだった。 |
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指揮者の歌 |
故・朝比奈隆氏の指揮による演奏の映像を見た時、「あ、この人も歌ってる!」と思わずニヤニヤしてしまった。 初めての定期演奏会の時、出番がアンコールだけだった私は、楽屋で他の1年生部員とおしゃべりしたり、モニターを眺めて聞こえてくる演奏に耳を傾けたりして時間を過ごし、それにも飽きた頃、こっそりと舞台裏に様子を身に出かけた。 メインの交響曲がはじまっていた。 曲の盛り上がりと共に、何かが聞こえてくる。 明らかに楽器の音ではない。 耳を澄ませてもわからないので、反響板の隙間からステージを覗き見ると、指揮者の先生が好調に指揮棒を振り回しながら時折口を動かすのが見えた。 あわてて私は楽屋に戻って、同じく降り番のトロンボーンの先輩にそっと聞いてみた。 「先生、歌ってますよ。舞台裏まで聞こえたんですけど、あれっていつもなんですか?」 「そうだよ。いつも」 先輩は別段驚くこともなく、事もなげに答えた。 「今日の演奏、録音してるんですよね?」 「いつもテープに先生の声が入ってるんだよ。今度聞いてごらん」 後日確認したら、先輩の言葉どおりしっかりとテープに先生の歌(というよりうなり声)が入っていた。 私が卒業するまでに参加した全ての演奏会のテープのどこかしらに先生の歌がちりばめられている。 はじめの頃はテープに残るほど大声を出すなんて客席にも相当聴こえてるに違いない、と奇異なことのように思っていたけれど、今ではそれもこの楽団の演奏の一部だと思っている。 歌が飛び出すということはそれだけ深くその曲の世界に入り込んでいるということだし、曲に対する想いがあふれてのことだと思うから。 |
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